よくわかる「仏事」
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【よくわかる「仏事」】

今まで知らなかった念珠の玉の意味、お線香の立て方などなど 普段何気なくやっている仏事には、一つ一つ意味があります。
誰もが納得できてわかりやすい文章で記載しています。


@ 塔 婆(とうば)
A 焼 香(しょうこう)
B 袈 裟(けさ)
C 念 珠(ねんじゅ)
D 灯 明(とうみょう)
E 灯 明2
F 灯 明3
G お線香
H 合 掌(がっしょう)
I 仏 花(ぶっか)
J お 経1
K お 経2
L お 経3
M 位 牌(いはい)
N 法事を学ぼう
O 檀家とは


@ 塔 婆(とうば)

お施餓鬼・お彼岸・法事とご先祖様の供養に欠かせないのが、塔婆です。
塔婆は正確には率塔婆といい、古代インドの言葉ストゥーパーが語源です。
古代インドでは、お墓を意味しましたが、仏舎利(お釈迦様のお骨)信仰が盛んになると、 仏舎利を奉納する寺院の五重・三重ノ塔などの塔をも意味することとなりました。
日本では、ご先祖様の墓標として刻みをつけた木板を一般的に「塔婆」と呼ぶようになりました。
特に真言宗では、塔婆の形は大日如来の五つの仏徳を表し、ご先祖様がおられる仏の世界へ、 お届けする「お手紙」と考えます。
塔婆の表側には、梵字で仏様の世界の住所を、その後にお戒名や○○家先祖代々各霊と 宛名をお書きします。
また裏側には梵字で現世の住所、差出人の名前(施主名)と日付をお書きします。
しかし、住職がお経をお唱えし開眼して皆様に渡すのは、手紙で言うならば、封筒にしか過ぎません。
肝心の中身つまり手紙は、施主皆さんの故人やご先祖様への日頃の感謝などそれぞれの思いそのものです。
真心を込めた塔婆は必ず故人やご先祖様のもとへと届きます。
お墓参りをして、塔婆を建てて手を合わすと自ずと返事が聞こえてくるはずです。


A 焼 香(しょうこう)

お施餓鬼、彼岸でのお寺の法要や、故人のお通夜、葬儀なので皆様が必ず行うのが、 「ご焼香」という行為です。
一般的には、焼香台にすすみお香を手にとって、目の前で念じて一度もしくは三度焼香をします。
焼香の起源は、香木の産地インドにおいて、高温多湿のため体臭や悪臭の消臭としての 古来からの風習が源でした。
やがて仏教がおこると香をたくことは、修行者の身を清め、心を清浄に落ち着かせるものとして、 仏様を供養する行為として取り入れられ、仏教伝来と共に中国・日本に伝わりました。
また仏教の説話に、「ある時、お釈迦様の弟子でフナキという人が、修行を終え、故郷に帰りました。
お釈迦様のところで修行をしたことから、故郷の人々が彼を尋ね、説法を聞きたいと懇願します。
フナキはまだ人前での説法には自信がなく困って悩みます。そこで香をたいて心落ち着かせ瞑想します。
すると彼の悩みが、香の煙に込められ、お釈迦様のもとへ届きます。
その悩みを知ったお釈迦様は、香の煙の源をたどって、フナキの故郷へ赴きます。
そこでフナキに代わって説法をして、人々を喜ばせました。」という伝説があります。
この伝説から、お香の煙は自分から仏様への思いは一方通行ではなく、必ず仏様から 自分へとご利益があることを教えてくれます。
焼香は、単なる儀式ではなく、祈願の焼香であれば願いを香に託し、故人への焼香であれば、 感謝と追福を香に託して欲しいものです。


B 袈 裟(けさ)

住職が、葬儀や法事などで着る法衣に欠かせないのが、袈裟です。
袈裟の由来は古く、お釈迦様の時代までさかのぼります。
古代インドではカシャーヤと言い、中国で漢字に音写されて袈裟というようになりました。
当初、道端に糞のように捨てられていたボロ布をつなぎ合わせて作ったことから、 糞掃衣(ふんぞうえ)ともいいましたが、やがて、信者さんから頂いた布で作られるようになりました。
住職の袈裟をよく見てみると、わざわざ小片にした布を田んぼの形(田相)に継ぎ合わせて、 あぜ道のように帯状の布が飾られているのがわかりますが、これもその名残を今に伝えているのです。
袈裟には、衣服における煩悩を制し戒律を守るために着用しますが、田んぼのように 縫い合わせてることから、その田んぼから福徳を生じさせる福田衣(ふくでんい)とも呼ばれ、 身につけることで、仏教徒としての仏道修行の象徴であると同時に、 大きな功徳が授かるといわれています。
葬儀で住職が着用するのを七条袈裟(しちじょうけさ)、お通夜や法事で着用するの を如法衣(にょほうい)といいます。住職が普段肩にかけているのを輪袈裟(わけさ)といい、 これは、大きな袈裟を簡略したもので、さらに簡略したのが、檀徒の皆様が着用する半袈裟 (はんけさ)です。
このことから、檀徒の皆様には、お寺での行事や、法事などで、半袈裟を身につけることは、 仏弟子であることの自覚の証であると思っていただきたいものです。


C 念 珠(ねんじゅ)

真言宗では、数珠(じゅず)のことを念珠(ねんじゅ)といいます。
お念仏やご真言を唱えるとき何度唱えたかを数えることが、本来の役割でした。
仏様のご真言をおとなえするとき七返、二十一返、百八返を基本として数えます。
そこで、百八の珠があるお念珠では、七つ目、二十一つ目のあとに小さな珠をおき、 数を教えてくれるようになっています。
念珠を摺る行為をよく目にしますが、その昔、三井寺鳥羽僧正覚猷(かくゆう)が、
天皇のお加持をした際、ご真言を念誦(心の中で唱える)し終えたことを伴の 僧侶に知らせるために念珠を摺って音を立てて合図したことに由来し、 その音がとてもありがたかったとのことでした。
そもそも念珠(数珠)の歴史は、お釈迦さま在世のころ、ナンダ国の瑠璃王(るりおう) を得度(仏弟子にする)したさいに、「無樓子(むくろじ)の実を百八糸で繋いで連珠を作り、 いつも身体から離さず念仏を唱えれば、煩いを取り除き、心を正しき方向に向けることができる。」 と念珠の功徳をお説きになったことから、お釈迦様の時代まで遡ることができます。
今日の念珠は、梅、黒檀、菩提樹、白檀と伽羅といった香木、水晶、珊瑚、瑪瑙や琥珀 などの石類など様々です。形も百八を基本として、その半分の五十四珠(半繰り念珠)、 その半分の二十七珠(四半繰り念珠)があります。
これからは、お釈迦様のお説きになった念珠の功徳を信じ、仏壇やお墓で、あるいは、 お寺のご本尊様の前で、手に念珠をもってお参りするように心がけましょう。
必ず心の煩いを取り除き、福を招いてくれるはずです。

 
D 灯 明(とうみょう)

お寺のご本尊様や、各家のお仏壇におけるお供え物の一つに、灯明があります。
普通は、ロウソクに火をつけておかざりをします。
灯明に用いるロウソクは、仏教の儀礼だけでなく、キリスト教の典礼においても必需品であります。
また、一般家庭においても、電気照明が普及されるまでは、照明器具として、不可欠なものでした。
ロウソクはおよそ二千三百年前にはヨーロッパと中国では使用されていたそうで、 日本には約千三百年前の奈良時代頃、中国から仏教儀礼の道具として伝わりました。
そして明治時代には洋ロウソクが伝わりました。 ロウソクは、はぜの木の植物系から蝋をつくって芯に幾重にも塗り重ねて作られる 和ロウソクと、重油からパラフィンを精製して型にはめてつくられる洋ロウソクがあります。
洋ロウソクに比べ和ロウソクは、高価ですが、日本が誇る伝統工芸品のひとつになっています。
このロウソクによって得られる灯明には、菩薩の六つの実践徳目(六波羅蜜)の一つ「智慧」 の教えが込められております。
単に、お線香に火をつけるためにお飾りをするのでは決してありません。
私たちの迷える心・煩悩の雲で暗く閉ざされた心を明るく打ち破る、 仏の智慧の光を象徴しているのです。
智慧とは実践で得た仏の悟りの境地(般若)を意味します。
ロウソクの淡い光を見れば、落ち着きのある静かな雰囲気を私たちの心にかもしだすことでしょう。


E 灯 明2

灯明にまつわる話に「貧者の一灯」(ひんじゃのいっとう)がります。
この話は、お釈迦様在世のころ、ある町でお釈迦様が夜半にかけて布教することになり、 町の人がこぞって油を買い求め、お釈迦様の周りを明るくしようと競いあいました。
そんな中、この町で身よりもない老婆は、お釈迦様に灯明を捧げたいが、 お金もなく途方にくれていました。
そこで油屋に言って、今日働いて稼いだほんのわずかなお金を出して 「お釈迦様のために火を灯したいので、ほんの少しでいいから油を売ってください。」と懇願します。
本来なら全く油など買えるお金ではなかったのですが、油屋さんは老婆の心にうたれ 特別に油を売りました。
老婆は、よろこんでわずかな油を皿に入れて火を灯し、目立たない場所におきました。
あたりは大きな灯火で、昼間のように明るく老婆の火は小さくかすんでいました。
すると一瞬大きな風が吹き一斉に火は消え、辺りは暗闇につつまれました。
しかし老婆の小さな火は消えずに残り、やがて大きな火となり辺りを明るくつつむのでした。
弟子の一人が何故、老婆の灯火が残ったのかお釈迦様に尋ねると 「見栄(みえ)や執着は、自身をまぶしく照らし出すこともあるが、一瞬でくじかれ消えて しまう弱さと共にある。
一方、会い難き仏と法の価値を知り、その恩に素直に報いようとする者には、 永遠に消えることのない生命の明かりが宿り、正しき道を照らすものなのだ」とお釈迦様は 教えたという話です。
この話から、真の信心とはお金で買うことではなく真心込めることによって生まれるもので あることを学んでほしいものであります。


F 灯 明3

前回、灯明にまつわる話として、「貧者の一灯」についてふれました。
お釈迦様に捧げた貧しい老婆の物語でしたが、日本にもこの話と似た物語があります。
舞台は弘法大師が眠る高野山奥の院です。
今でも「貧女(ひんにょ)の一灯」として、永遠に消えることのない灯りとしてまつられています。
時は、平安時代中頃、和泉の国(大阪府南部)にお照という一人の貧しい女性がおりました。
両親を幼くして亡くし、親思いのお照は、追善菩提のために、高野山の奥の院におられる お大師さまに献灯することを考えます。
しかし、献灯するにはお金がかかります。
そこで、お照は、自慢の黒髪を切り落とし商人に売っていくばくかのお金を手に入れ、 小さな灯篭(とうろう)を求めて、奥の院に献上しました。
奥の院には、お大師様を慕って多くの灯篭が献上されていました。
お照の灯篭は小さいながらも、誰よりも一段高くまつられました。
 ある長者が、「あの小さい灯篭は何だ。私の大きな灯篭よりも高いところにあるのは見苦しい。」 と言って、お照の灯篭を取り除けようとしました。
するとその時、風が吹き、全ての灯篭の灯が吹き消され、周りは暗闇につつまれました。
が、一つだけ消えずに次第に明るく輝きました。
その一つとは、お照の献上した小さな灯篭だったのです。
これを見た快恵上人は、「お照の心をお大師様が受け入れた証しだ。
信仰はお金や権力で求めるものではない。
真実の心でささげた灯明は、永久に人の世を照らす光明となろう。」と語りました。
真心の尊さを教えてくれる物語です。


G お線香

お仏壇やお墓参りにかかせないのに「お線香」があります。
お香自体は、奈良時代には伝わっていましたが、直接火のうえで焚く(焼香)が主流でした。
江戸時代初期になって、中国から製造技術が伝わり、お線香が発明されたことにより、 今まで高価であった「お香」が、手軽になり庶民に普及しました。
ですから、お線香の歴史は、そんなに古くはないのです。
線香には、白檀(びゃくだん)、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)といった香木の粉末と タブの樹皮の粉末と様々な材料を練り合わせ、線状に成型、乾燥させた「匂い線香」と、 栃木県日光観光のお土産の一つ、日光杉のお線香で知られるような「杉線香」があります。
現在では、「アロマテラピー」のように香料化学が発達したことで様々な匂いを楽しめる ことができます。
香の香りをかぐことは、脳に心地よさを与え癒しの効果があるといわれていますが、 仏事では、香の香りによって不浄が清められ、心を清らかにすると考えられ、 また時間をかけてゆっくりと燃焼する様相から、菩薩の修行徳目六波羅蜜の一つである 「精進(しょうじん)波羅蜜」の教えが込められています。
精進の教えとは「何事にもあきらめず、たゆまず努力する」ということです。
 よく質問されることに、お線香をあげる数がありますが、これは宗派によってことなります。
ちなみに、ご本山智積院では、二本を、火がある方を左側にして寝かせておきますが、 一般的には香炉に立てても構いません。
また亡くなった人に手向ける線香では、一途に仏の世界に行かれることを願って、 四十九日までは一本のお線香を供養するという場合もあります。


H 合 掌

仏事で必ずする儀礼が、合掌です。
インド起源の挨拶儀礼のしぐさで、おそらく仏教伝来ともに日本に伝わりました。
日本では仏事の習慣として合掌しますが、インドやタイなどの東南アジアの仏教国では 日常の挨拶儀礼として合掌します。
ところで、私たちは、仏様を拝む際や、仏壇・墓前において何気なく合掌をすると思いますが、 合掌には大切な意味があることを忘れてはいけません。
インド起源の合掌には、右の手は仏様、左の手は自分自身を表すとされ、 合掌つまり両手を合わせることで、仏様と一体となり、帰依と感謝、敬意を表すとされており、 お釈迦様の時代には、弟子は必ずお釈迦様の前で合掌して教えを受けた様子が経典に描かれています。
また、十三仏の一人、普賢菩薩(ふげんぼさつ)は、合掌をした仏様です。
普賢菩薩は仏の道を志す菩提心(ぼだいしん)を象徴する仏様で、合掌には、 強い菩提心が示されています。
そして合掌で一番大事なのは、手と手を合わせることで、掌の中に「あたたかさ」 を感じることだと言われています。
「あたたかさ」を感じることができるのは、自分が今生きているからであり、 命があるからだということです。
そしてその命はご先祖様から受け継いだものであり、多くの命に支えられていると いうことを知らなければなりません。
合掌に秘められた心を探求することも、仏教の教えの一つです。


I 仏 花

お仏壇やお墓に欠かせないのが、仏花(ぶっけ)で、仏様にお供えする重要な 六つの供養物の一つにあげられます。
また、仏様の前には、荘厳具(調度品)いわゆる五具足(香炉 燈明二ヶ 花立二ヶ) とか、三具足(香炉 燈明 花立)としてお飾りするものとしても欠かせないものです。
古代の人々も死者の供養には、お花を捧げており、墳墓の遺跡からは様々な花の種子が 見つかるそうです。
古代の人たちが、花を捧げるには、花々が季節をむかえて咲く姿に、亡くなった魂の再生 を願ったと考えられるそうです。
しかし仏教では、仏花に再生を願うものとしてではなく、一つの功徳を込めて、 仏様やご先祖様に供養します。
その功徳とは、忍辱(にんにく)の教えです。
つまり忍耐、苦しみに耐え忍び、決して怒りの心を起こしたり、あきらめないということです。
そして、忍耐の心は、自分を磨き、柔和な仏心を育てるとお釈迦様は説かれています。
 花々が、猛暑や極寒など季節の変化に耐え忍び、着実に力蓄え、大輪の花を咲かせるように、 人の心もまた斯くありたいという教えが込められているのです。
 ところで、何故、お墓やお仏壇に仏花を飾るとき、私たち拝む側に、花束の正面を向けるか 考えたことがありますか。
それは、花が持つ功徳「忍耐」の教えを、ご先祖様や仏様が、私たちに教えを説いて、 私たちを励ましている姿を意味するからです。


J お 経1

仏事で最も大切なことは、読経「お経をお唱えする」ことです。
本来お経は、暗記するのではなく、常にお経本を手に取り、字面を目で追いかけ、 雑念無くお唱えすることが修行として求められます。
そもそもお経は、お釈迦様が亡くなった後お弟子さんたちが集まって、 後世にお釈迦様の教えを残すためまとめられた言語録でした。
当時は、紙などありませんから暗唱して、弟子から弟子へと口伝えました。
その後インドでは、貝多羅葉(ばいたらよう 略して貝葉)に書写して書物を残すようになり、 お経も書写されました。
お経は、サンスクリット(梵語)「スートラ」の訳語で、何枚もの貝葉を綴る「紐」を意味します。
中国に仏教が伝来した後、多くの中国僧がインドに赴き、貝葉に書かれたサンスクリット語の お経を中国に持ち帰りました。
中国では、紀元前後に紙が発明されていましたので、持ち帰ったお経は、漢訳され、 紙に書写されました。
かさばるため管理がしにくかった貝葉のお経に比べて、紙に書写されたお経は、 「経巻」として巻物に仕上げられたので、仏の教えが整理しやすくなりました。
三蔵法師で知られる玄奘(げんじょう)が活躍した唐代では、多くの仏の教えが漢訳され、 「大蔵経(だいぞうきょう)」として、編纂されました。
その経巻の数は、五千以上をはるかに超え、その中に私たちが普段お唱えする「般若心経」、 「観音経」もあります。


K お 経2

普段、法事などでお経をお唱えすると、お坊さんが、何を唱えているか分からないと いう声をよく耳にします。
現在、日本の仏教各宗派の大体は、お経を漢訳でお唱えします。
例えばよく知られているお経「般若心経」も、漢訳でお唱えします。
そもそもお経の言葉は、インドの言葉「サンスクリット語」でした。
中国僧の活躍で、大よその経典が七世紀頃までには漢訳されました。
日本に仏教が伝わり、本格的に国内に導入されたのが聖徳太子の時代です。
太子は、遣隋使によって、留学僧を派遣し、仏教経典を輸入しました。
その後、遣唐使の中でも留学僧によって、多くの漢訳の経典が国内に伝わりました。
「般若心経」もそうですし、平安時代初期には、お大師様こと空海も多くの経典をもたらした 留学僧の一人でした。
当時の日本は漢字文化圏で、まだ文字は平仮名やカタカナがなく、漢字が基本でした。
経典に限らず書籍は漢文ですし、文章を書くにも漢文で、明治時代まで続きました。
ですから、漢訳の経典をあえて訳することはしませんでした。
和訳しなくても漢字自体が表意文字なので、漢文を学べば、訳さなくても意味が分かると されていたのでしょう。
明治以降、多くの経典が和訳されましたが、お唱えする経典ではなく、 経典の解説書として普及しました。
近年、檀信徒とお経をお唱えするとき、お経の教えを身近に感じてもらうために、 お唱えして、すぐ意味が通じるお経は和訳でお唱えするようになりました。
法事などでお唱えする「真言宗勤行式」がそうです。


L お 経3

お釈迦様が滅して今までに数多くのお経が説かれました。
しかし全てのお経が、唱えるお経ということではありません。
お経の中には、仏像の解釈、修行方法などを説いたお経もあります。
唱えるお経を「読誦(どくじゅ)経典」と言います。
代表的なお経が「般若心経」や「観音経」で、 真言宗の僧侶が日々お唱えするお経に「理趣経(りしゅきょう)」があります。
読誦とは、お経の文字を目で読み声に出すことで、暗誦することではありません。
では何故、僧侶は漢字だらけで、一般の方々には、 意味不明なお経を、法事や葬式、または祈願などでお唱えするのでしょうか。
それは、お経には、仏さまの尊い教えが込められており、 声に出してお唱えすると亡くなった人やご先祖様 仏さまが、 大いに喜びになると信じられているからです。
また生きている私たちにとって、お経の声を耳で聞くことは、 単に僧侶の声を聞くのではなく、お釈迦様の教え、 真言宗だと教主である大日如来の説法を聞き、 本来私たちに宿っている仏心を呼び起こすためと信じられているからです。
ですから信心がなければ、いくらお経を唱えても、聞いても功徳はないと思います。
 「般若心経」には、「唱えることで一切の苦を除く」と説かれていますし、 「理趣経」には「すべての教えの根源である般若の教えを、 毎日、朝早く読誦したり、あるいは、そ の声を聞けば、 苦しみを離れあらゆることに安らぎを得て心楽しみ、 金剛のように壊れることない悟りの境地をえることができよう」と説かれています。
そのことを深く信じるが故に、僧侶は常に仏事においてお経をお唱えします。

M 位 牌(いはい)

 故人を供養するに先ず形として位牌が作られます。
臨終を迎えると、住職が生前の人柄から戒名を考察し白木の位牌に、 俗名・逝去日・年齢・戒名を記し、通夜・葬儀が執り行われます。
四十九日を迎えると、白木の位牌から本位牌(塗り位牌)に作り替え、 仏壇に納め、末永くおまつりされます。
 しかし位牌は、仏教伝来時にはありませんでした。
鎌倉時代になって、中国(宋)から禅宗の教えと共に伝えられたようです。
位牌の起源は、儒教の位版といって、亡くなった人の名前と官位を記したものに由来し、 神道の依代(よりしろ・神々がものに宿る)の思想と、 仏教の塔婆思想が結びついて位牌が生まれたとも言われています。
当初位牌は、高貴の身分の人だけのようでしたが、江戸時代中期、 庶民にも戒名授与など仏教による葬送儀礼が一般的になった頃、 死者の後の供養として位牌も普及したようです。
ところで現在日本の最古の位牌が、徳島県那賀町の観音堂にあります。
一四二〇年頃の位牌で、二柱あり、時の天皇と寺の信者の健康と繁栄を願って作られたもので、 現在のように死者の供養のためだけに位牌あるのではなく、 祈願のものとして位牌があったことも伺えます。
位牌は、魂が宿るものであります。
そして、故人の心と私たちの心が結びつけるものでもあります。
今風に言えば、あの世に住む故人への携帯電話とでもいえましょう。

N 法事を学ぼう

 亡くなられた人の冥福を祈るために、初七日から、三十三回忌まで、親族が集り、 僧侶にお経を唱えて供養してもらい、お斎(おとき・食事)を囲んで故人を偲ぶ行事を 「法事」と捉えられておられる方が多いと思われますが、本来「法事」とは、 仏の教え(法)の大事な所を学び、仏の徳をたたえることを言います。
 古来より、亡くなられた方は、初七日に不動明王、二七日に釈迦如来、 三七日に文殊菩薩、四七日に普賢菩薩 五七日に地蔵菩薩、六七日に弥勒菩薩、 七七日忌に薬師如来、百日忌に観音菩薩、一周忌に勢至菩薩、三回忌に阿弥陀如来、 七回忌に阿?如来、十三・十七・二十三・二十七回忌に大日如来、三十三回忌に 虚空蔵菩薩といわゆる十三仏の仏さまと出会い、仏の教え、智慧を授かり、 自らの心を完全なる仏心へ変えていくと言われています。三十三回忌を迎えると、 亡くなられた方は、各家の守り仏、御先祖様になると信仰されております。
 したがって私たちは、亡くなられた方が一段と仏へと近づくことを喜ぶ、 仏様の教えを学ぶ場として定期的に「法事」を営みます。 「法事」という貴重な時間の中で、私たちに亡くなられた方の在りし日の 姿を偲ぶことは大切です。また、御先祖様から受け継いでいる自分の命の尊さと有難さを感じ、 日々の生活を省み、欲深い心、短気な心、わがままな心といった悪の心を恥じ、 少しでも多くの仏さまの教えを身に付けて、生きとし生きるものに対する 優しさと謙虚な心、そして本来自分の心の中に眠っている「仏心」を目覚ます ことも大事であることを学んで下さい。
 最近、お葬式だけで十分供養したから、「法事」に必要ないということを耳に致しますが、 何か心の寂しさを感じざるをえません。私たちの生命に、一人の力で生き抜くことにできません。 様々な生命のつながり、交わりがあってこそ、生かさせて頂いているのであります。 特に御先祖様に、目に見えないけれども常に私たちを見守り続け、 何かしらの力を与えていると深く信じたいものであります。
 ですから、御先祖様への感謝の誠を捧げるためにも、御法事を努める意義があるといえます。  御先祖様の年忌が何時なのか、お仏壇のお位牌を確認し、忘れることなく、 供養の心をいつまでも大切にしていただき、子から孫へと伝えて欲しいものであります。

O 檀家とは

 「檀家」という言葉は、江戸時代徳川幕府によって定められた キリスト教弾圧のための寺請制度の中で生まれた言葉です。 「檀家」の「檀」にに、「檀那(だんな)―施し・布施―」という意味がありますので、 「檀家」とに、「お寺に施しをする後援者」とした方が、わかりやすいかもしれません。 今で言うサークルの会員といったところでしょう。
 しかし、最近に檀家と言う言葉に嫌悪感を抱く人が多いようで、 よく「檀家になるとお寺からの多額の寄付を募られるから嫌だ」といことを耳にします。 ですから新しく檀家を増やすには難しくなっている現状があります。 その原因の主に、会計の不明瞭といったお寺側にあるでしょう。 しかしお寺の寄付は税金と違うので、強制力や法的義務があるわけでもありません。 寄付行為に任意が当然だと考えます。 檀家と言う言葉の誤解を解くわけではありませんが、通常「施し・布施」というと、 お金を納めるという行為と考えます。しかし本来「布施」に、仏様やご先祖様、 住職が仏の教えや恵みを施す「法施」と、「法施」に対して感謝の意を表す 行為として衣服、食物、土地、財貨などの資材を施す「財施」、また、 自らの心と身体を尽くして他者に思いやりや安らぎの心を施す「無畏施」の三種を指します。 『解深蜜経』というお経の中に、いかに執着から離れ清らかな心でこの三種の 「布施」を行うことの大切さが説かれています。
 今日の寺院の土台に檀家さん一人一人の貴重なお布施で成り立っています。 お寺・住職・檀家の皆様とが、先の三種の「布施」の精神のもと信頼関係を 築いていくことが重要ですし、その為にも「〜する。」や「〜してあげる。」 ではなく「〜させて頂く。」という謙虚な気持ちを持つことが大切だと考えます。 「お寺は、住職だけでは、成り立たない。住職やその家族に、内側から寺を護り、 檀家の人たちは、外側から寺を護り、両立してはじめて寺院の興隆がある」という言葉を、 ある高僧から教わりました。三種の布施を通じてお寺と檀家さんとのお互いの 信頼関係を強固にして、お寺の発展があると思います。 最後に、お寺はただの家の建物と違い、ご本尊様を安置し、仏教の教えのもと檀家の御先祖様や、 亡くなられた方が、安心してご浄土で過ごせるよう永久にお守りする場であり、 現世において檀家の皆様に大きな御利益を施し、日常無事で幸せに過ごせるように願う場であります。 目には見えない話ですが、このことを深く信仰して頂くことが檀家さんの心得であり、 その檀家さんの思いを大事にしていくのが住職の仕事だと考えます。